無意識は受け入れた先にあるのかもしれない
意識と無意識
先日、車を運転していたところ
とても乱暴な運転をする人と対面した
のです。
その時、私は
「わぁ、危ない。なんでこの人はこんな焦ってんの」
といった言葉が頭に浮かんでいます。
その後、特にもめることもなく解決したため、目的地へ向かうために車をいつものように走り出しました。
私は“冷静をいつも装っている”ので、「これくらいよくあることで、なんともないさ」という空気をまとっています(笑)
しかし、数秒~数十秒と時間がたつにつれなんだか“モヤモヤ”が増してくるのです。
私はこのモヤモヤを認めたくなかったのでしょう。
モヤモヤの原因を探るべく、自問自答がはじまりました( ̄∇ ̄)
なんだ?なにがモヤモヤしているんだ?もう済んだことで事故もなく揉めることもなく終わったじゃあないか??何がモヤモヤするんだ??
と思考はグルグルしています(笑)
モヤモヤは減るどころか増していく一方です。
数分考えても答えはでません。
そこで、考え方を変え先ほどの「認めたくない自分」を認めることにしました。
「いや、めっちゃ腹立つわ。腑に落ちん!!なんであんな態度をされにゃあいかんのか」
と私の怒りを言葉にだして唱えてみたのです(笑)
すると、先ほどまでの“モヤモヤ”がスッと消えていくのがわかります。
ここで改めて自分が見えてきました。
自身の怒りを無視して“怒っていませんよ”的な態度を選択したこと。
相手のように“スッ”と躊躇なく不遜な態度を表に出せる人がうらやましいということ。
そう。私の無意識は本当は怒りたくてしょうがなかったのです(笑)
怒りたいのに怒ってはダメだと蓋をしていたのです。
私がふだん言っている無意識とはこういうことです。
自身では気がつきにくいこと。認めたくないこと。
最初に頭で考え答えを導きだそうとしていたとき、湧き上がる怒りを知らないふりをして違う選択肢から答えを探そうとしているのです。
しかしそんなところに答えはあるはずもなく、思考は巡るばかり。
これは日常でもあるあるです。
本当は自身でわかっているのに、そこに触れるのが怖かったり認めたくないがために答えから遠ざかろうと変な行動や思考に陥ることがあります(笑)
私はそれを受け入れた瞬間、認めたくなかった自分を気に入りまた一つ自分のことが好きになりました( ̄∇ ̄)
ここで、勘違いをしてほしくないのは「怒りを表に出せ」「表に出すことが正解!!」というわけではないことです。
もちろん怒ることも手段の一つではあるのでしょうが、大切なのは
私が自分の怒りを否定し、良い人であろうと我慢をしていた
ということなのです。
これがわかれば、別に怒りなんてなんだっていいのです。
認めたくない自分を認めようとするときに、見えていなかった見ようとしていなかった自分を発見するのかもしれません。
最近おきた私の体験エピソードからでした(笑)
参考になれば幸いです( ̄∇ ̄)
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お知らせ&一言
怒ってはダメだと強く蓋をするのもよくない
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